SR600 S.K.Y.Line(2025)の学び④ 3日目 – ゴール

ブルベ

3日目 – ゴール

富士山スカイライン

宿を出発したのは午前5:30。
ここからSR600 S.K.Y.Lineのハイライト、富士山スカイラインが始まる。
疲労は確実に溜まっているはずなのに、不思議と体は軽くこれといった痛みもない。

昨晩も写真撮影したが朝の富士宮本宮浅間大社の鳥居も立派だったので、出発前に一枚撮影しておく。

すき家で朝飯。
長いヒルクライム前にしっかりした食事をとっておく。

いつもより味噌汁の味が舌の上に細かく伝わってきて美味い。

朝食を取ったすき家を出たところがStravaのセグメントの始まりになっていた。

約33km、獲得標高2100mオーバーのヒルクライムはこれまでのランドヌール人生で最長だ。
ランドヌール部門の時間制限まで余裕があるわけでもないが、ピンチということもないペースで進んできている。
焦ることなく周りの景色を楽しみながら、心拍120で体への負荷を最低限に効率の良いペダリングだけを心がけて進む

道中2人ほどのローディーに追い抜かれたが、スバルライン側と違って交通量もローディーの数も全体的に少なかった。

1台のバイク乗りが同じ区間を何度も爆音 + 高速で延々と登ったり下ったりして何度も遭遇するので、これにはイライラさせられた。

2025年は5月12日までは午後5時から翌朝午前8時まで夜間通行止めとなっている。
僕のように4月後半か5月前半に走行する予定のある人は、この夜間通行止めに気をつけて走行計画を立てる必要がある

ここから先が夜間通行止めになるのだろう。
位置はこのあたりだ。

僕がたどり着いたのは午前9時頃。
そう考えると、宿の出発は午前4:30くらいにしておくと、ちょうど通行止め解除のタイミングで通過できそうだ。

壮大な遠回りをして富士山周辺をぐるりぐるりと回ってきたこれまでの旅。
とうとう富士山の喉元である5合目まであとわずか。
伊豆から見た富士山は遠方に霞むくらいだったのに、いまは眼の前にくっきりと頂が見えている。
感慨深い。

ヒルクライムしている間は体温の発熱が高いので標高があがったことへの寒さに気づきづらい。
が、さすがにここまで登ってくると肌寒さを感じる。
ウィンドブレーカーを羽織るほどではなく、ちょうどよい寒さともいえた。

心拍はずっと120前後を維持。
SR600 S.K.Y.Lineを通して疲労せずに延々と登り続ける秘訣のようなものを身につけた気がする。
忘れないようにXのポストにまとめておいた。

そして五合目到着。
ここでは富士山5合目を示すなにかを撮影する。
画像左上に標高2400mを示す看板があり、それを撮影したかったのだけど柵で囲われていて近づけなかった。

ここまでフラットペダルでたどり着けて感無量。
三ヶ島ペダル、とても良くてブルベにおすすめ。

34kmしか進んでいないのに、獲得標高が2500mくらいある。

人力で雲の上までやってきた者に与えられる絶景がある。
雪もまだ溶け残っていた。

富士山頂に一礼して立ち去る。
ここからの旧料金所までのダウンヒルは汗が冷えた体にかなり応えた
晴天で助かった。

森の駅富士山でトイレと昼飯補給。

富士山マグマカレー。

カレーで温まった体をスイーツで冷やしていくというバッドプラクティス。
富士山スカイラインというラスボスを倒した余韻に浸って、のんびり休憩していた。

始まりの地、三島に帰る

富士山をダウンヒルして御殿場を抜ける。
乙女峠を登って芦ノ湖を目指す。

乙女峠という名前が気になっていたのでwikiで調べてみた。

箱根仙石原に「とめ」という名前の若い女性が住んでいた。「おとめさん」と呼ばれていたこの娘は父の病の治癒を願い、この峠を越えて御殿場の地蔵へ百か日の願掛けに参拝し続け、最後には願いがかない父の身代わりとなってこの峠で亡くなった。この「おとめさん」の逸話から「乙女峠」と呼ぶようになったという伝承が残る[4]

女学生がキャッキャウフフしていた場所を想像していたが、まるで違っていた。
全然悲しいストーリーでショックだ。

乙女峠を下ったら広大なゴルフ場エリア。
ここのルートは走行していて面白くて、ゴルフ場の合間の道を走っていくのだ。

道のクオリティはグラベル味があり、アップダウンを繰り返していて面白い。
たまにキャディーカーとすれ違う。
ゴルフ客からしたら反射ベストを着てロードバイクに乗る僕がさぞ珍しかっただろう。
ウォーキングを楽しんでいる人もいるので、ゆったりとしたスピードで進んだ。

須永君碑で証跡の写真を撮影。
こんなところに石碑があるのがとても興味深い。
訪れる人も多くなさそうだ。
だがそこがいい。

ゴルフ場エリアを抜けると芦ノ湖に着いた。
山中湖ほどではないが、芦ノ湖もかなりインバウンド客が多い
初心者マークをつけたtimesカーのドライバーが前方を見ないまま右折してきたりもするので、やはりこのエリアも要注意で。

SR600 S.K.Y.Line最後の登りは箱根大観山展望台。
ここは時間によって証跡の撮影対象が変わることに要注意
5:30-22:30の間は歩道を押し歩いて大観山展望台指標を、それ以外の時間はゲート前を撮影すること。

この後はゴールまで20kmほどダウンヒルが続く。
最後まで気を引き締めてはいけない。交通量が多い道を下り続けるからだ。
また、油断するとミスコースしてしまう箇所が何箇所かある。
車の動きに気をつけながらダウンヒルをするのは当然なのだけど、そうすると曲がるべき交差点をうっかり直進してしまいかねない
さらに、ランドヌール部門の制限時間が近づいていると気の焦りからミスを誘発しかねない
ここに至るまでの疲労も当然溜まっているはずだ。
最後だからこそどうか落ち着いてゴールを目指してほしい

とか書いている僕自身は何度かミスコースして登り返すはめになっていた。

そしてゴール!

Xでは59時間17分と書いたけど、ゴール申告しているときに写真を送信する写真を精査していたら、厳密には59時間16分だった

夕方の三島駅は出発時と比べて圧倒的に人通りが増えていて、時計台までたどり着くのにちょっと手間取った。

Xにポストした後、時計台の前でゴールした満足感をしばらく堪能した。
こんなに登坂し続けたのははじめてなので、当然過酷は過酷だったのだけど、これ以上な晴天と気候、そして絶景に恵まれた。
疲労感よりもまるで長いロードムービーを観終わったような感覚、楽しかった。

最後に、

  • 飽きることないバリエーションに富んだ景観をふんだんに盛り込んだコース設計をしてくださったAJたまがわのコース担当者様。
  • Xで「いいね」をしてくれたりコメントをくださった皆様。
  • 600kmの旅を見守り続けてくれた霊峰富士山。
  • 最後までパンクやメカトラ、落車や事故にであうことなく走りきってくれた相棒のSynapse君。

に感謝をして今回のブログの筆を置こうと思います。
ありがとうございました。

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